農閑期大作戦
いやぁ、寒いですねぇ。
昨日は冷たい雨が降り続き、ちょっと出かけただけで、すっかり冷えてしまいました。
今日は晴れる予報でしたが、それほどでもなく結局寒いままでした。
寒くて床屋にも行けず・・・(^_^;)
以前は、1月から2月一杯までは、団臨の季節でした。
国鉄長井線の宮内町駅まで、この時期は毎日1日2本くらいづつ臨時列車が運転されていました。
宮内町にある、宮内熊野大社への参拝団の臨時列車でした。
昭和53年1月22日 長井線 宮内町駅 8423列車到着
この熊野神社参拝団の臨時列車は、福島県内、山形県内のほとんどの駅から毎年運転されており、各駅の大きな収入源になっていました。
また、参加するのは沿線の農家の方が多く、10年、20年と長年にわたって毎年参加する人がほとんどでした。
正に農閑期狙いの大輸送作戦でした。
この日の臨時列車は、東北線沿線から、客車の臨時列車が8423レ~8224レで。
また奥羽線沿線から、気動車の臨時列車が9227D~9226Dで運転されました。
宮内町駅の事務室内には、黒板には臨時列車の運転予定が表示され、梁には臨時列車の運転取り扱いの手順書が掲げて有りました。
1列車当たり約500名のお客さんが降り立つので、駅員さんの対応も大変です。
乗る方も楽しみでしょうが、撮る方も楽しみでした。
普段はローカルDCしか入らない長井線に、6両からの客車列車が入線したのですから。
しかも、日によっては旧型客車だったり12系客車だったり、後年は14系客車やオリエントサルーンも入線しました。
山形県内からは、58系気動車を使って、臨時列車が運転されました。
宮内町駅は、時ならぬ賑わいです。
客車は、折り返しの列車まで側線に留置されましたが、DCの方はローカル列車の邪魔になるので、今泉駅まで回送されました。
こんな冬の楽しみも、山形新幹線が開通したら直通列車が入れなくて、観光バスでの団体輸送になってしまいました。
新幹線(と言うか、新在直通列車ですね)の運転によって、いままで繋がっていた線路が強引に断ち切られたのを、痛切に感じました。
そして、新たに新幹線が開通する区間では、在来線が切り捨てられるという、馬鹿げた事が平然と行なわれるようになりました。
首都圏直結と言う甘言の下、かなりの地元負担で新幹線の路線を造り、挙句の果てに地方の過疎化に拍車をかける・・・。
それの何処が、地元の為なんでしょうね?
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コメント
東京はお天気はいいのですが今朝は寒くて出勤時には思わず手袋をしてしまいました。福島の方からは笑われそうですが(^^ゞ。
恥ずかしながら長井線も米坂線もほとんど未知の領域なので宮内町という駅を地図で探してみると、今はただの宮内駅になってるんですね。しかしこんな臨客が走っていたとは、まったく知りませんでした。追分のC57135の到着シーンといいホームからのこのアングル、いいなーと思います。
DE10にスハ43、そしてキハ58系とくれば昔はどこの非電化区間でも見られた光景でしたが、今となっては貴重な記録。それに車輌だけでなく事務室の様子や運転取扱い手順書など、さすがあべくまワールド炸裂ですね。
投稿: たかべー | 2009年2月 2日 (月) 18:28
☆たかべーさま
この宮内熊野神社は1000年もの歴史を持ち、日本三大熊野神社の一つに数えられています。
臨時列車を使った参拝団の輸送は、戦後暫くしてから始まったそうで、撮影に行った当時でももうかなりの歴史を持っていました。
毎年1月~2月の2ヶ月間、ほぼ毎日臨時列車が運転されるというのは、私にとっては驚異的な事で、毎年何回か撮影に行っていました。
運転日や発駅の調査の目的も有って、宮内町駅の事務室には何度かお邪魔しました。室内の写真は、その時に撮らせてもらったものです。
投稿: あべくま | 2009年2月 3日 (火) 00:31