米坂線の思い出
3月になると、何となく米坂線のことを思ってしまいます。
大好きな線区でしたが、昭和47年3月で無煙化が完成しました。
その年の3月は、毎週末とも米坂線に出掛けていました。
時には、土曜日の授業が終わった後、家にかばんを置くとすぐに駅に行って、奥羽線の下り列車に乗ったこともありました。下り鈍行が米沢駅に着いたら、何と米坂線の臨時列車が発車するところでした。
9634の牽引で、12系の団臨とは驚きました。
何の団臨だか、聞くのは忘れましたが、宮内熊野神社の参拝団(通称「熊野臨」)だったかもしれません。
昭和47年3月11日
米沢駅にて無煙化直前になって、あちこち行くようになりました。
今までは、朝一番の下り列車で米坂線に入ることが多かったので、宇津峠付近や今泉周辺で撮る事が多かったのです。
それが、土曜日の午後に米坂線に入り、坂町や小国まで行って夜明かしするようになったので 、小国以遠でも効率良く朝の列車を撮影できるようになりました。
おまけに、坂町駅まで行くと羽越線の夜景等も撮れて、まさに一石二鳥でした。
左の写真は、昨年の夏にもアップしましたが、今は無き玉川口駅付近で撮った上り列車です。
昭和47年3月5日 米坂線 越後金丸~玉川口 土曜日の午後に米沢に行ったら、米坂線の下り列車までのあいだ、機関区に行くのが私達の普通の行動パターンでした。
米沢機関区には、米沢駅・山形駅などの入換や、左沢線の列車のためにC11が7両くらい配置されていたはずですが、機関区には2~3両しか居ませんでした。時々カマは入替えが有るらしいのですが、結局全機を見ることはできませんでした。
ある日行ったら、こんな番号のカマが居ました。初めて見るカマで、嬉しかったです。
昭和47年3月14日 米沢機関区にて
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コメント
C11234、良い番号ですね。しかも鉄の塊の質感がなんとも言えない良い感じをかもし出しています。大型サイズのネガなんですか?
投稿: ぼっちぼち | 2009年3月 6日 (金) 21:29
☆ぼっちぼちさま
面白い番号でしょ?私の好きなカマの1両です。
この写真は、私のかつての愛機「ニコレックスF」で撮りました。ただ、フィルムはASA100の物でした。
高校生の分際では、トライXなんて使えませんでしたからね。
投稿: あべくま | 2009年3月 6日 (金) 22:47
9634がまるで大型蒸機の貫録ですね。
今、気動車でブームの米坂線。
蒸機時代一度も撮りに行けませんでした。
わたしが9634に会ったのは、この4ヶ月先。
プレートはつけてましたが、ボロボロでした。
C11234、格好のいいスノープロウですね。
周りのドラム缶や木造建造物、看板、いいなぁ。
投稿: くろくま | 2009年3月 7日 (土) 07:56
☆くろくまさま
米坂線の無煙化後に、米沢に行かれたんですね。
まだ長井線の貨物が残っていたから、59634と79607には火が入っていたはずですが、9634はもう廃車で解体待ちだったんでしょうね。
ターンテーブルの周りには、廃車になったキューロクやC11が何両も居たのを覚えています。
米坂線は、今は急行色・タラコ色・国鉄色ツートンと、懐かしい色の気動車が最後の活躍をしていて、凄い賑わいだそうです。
あと1週間ですけど、もう一度撮影に行きたいような、行くのが怖いような、複雑な気分です(^^ゞ
投稿: あべくま | 2009年3月 7日 (土) 09:43
D51やC57が12系を牽くのはそれなりにあったでしょうけど、キューロク(しかも若番)+12系というのはほとんど記憶にありません。
関西では間合い運用の10系寝台を使った橋立ビーチという臨急が宮津線内はキューロク牽引だったような記憶がありますが、これとて実物は見たことがありません。
珍しい写真を見せていただきました。
投稿: たかべー | 2009年3月 7日 (土) 22:26
☆たかべーさま
米坂線は、暫定DL化の時期以外は全列車キューロク牽引でしたから、12系が入線すれば当然キューロク牽引になったのでしょう。
でも、その12系が入線する事自体が驚きでしたね。
無煙化までの間には、何度か12系が入線したようですよ。
投稿: あべくま | 2009年3月 8日 (日) 01:19
はじめまして。
熊野大社臨のことが知りたくググッていてこちらに辿り着きました。
撮られているキューロクの12系臨は米坂線に入っていったようですが、熊野臨だったとすると米沢から下ってどこまで行ってたんでしょう?
熊野大社の最寄り駅は宮内(町)のようですがわざわざ今泉でカマを付け替えて大回りして宮内まで客を運んだんでしょうか?
投稿: はるひろ | 2021年6月13日 (日) 18:46