6月6日に雨ザーザー降ってきて・・・
今日は朝からぐずついたお天気でした。
さすがにこの絵描き歌みたいなザーザー降りではなかったけど、ちょっと肌寒くて梅雨のはしりかなぁ・・・なんて思いました。
今日は久々の休みの土曜日ですが、仕事が忙しくて出勤になりそうな気配でした。
でも、月に一度の定期健診やその他にも用事が会ったので、休日出勤は避けようと昨夜は22時頃まで頑張って図面を描いてきました(^_^;)
さて、そんな6月6日の語呂合わせは・・・もちろんお馴染みのあのカマです。
昭和47年5月13日 東北本線 松川駅にて
現在は、真岡鉄道で活躍中のC1266ですが、これは火を落とす前日の姿です。
C1266はご存知のように、僚機C1260と共に国鉄川俣線の廃止当日に、それぞれ沿線の川俣町と飯野町で保存するために、会津若松機関区から回送されました。
これは、松川駅に到着後の姿です。
左のDCは、川俣線の列車です。
昭和47年5月13日 東北本線 松川駅にて
夜になり川俣線の最終列車が出た後、これらの機関車の自力回送が行われました。
機関車だけの単機回送で、66号機は岩代川俣駅へ、60号機は岩代飯野駅へと旅立っていきました。
あれから37年・・・。
C1266は、新しい職場を得て復活を果たし、活躍中です。
そして、奇しくも川俣線の廃線跡に進出してきた工場で、私は働いています。
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コメント
66で真岡じゃないところがさすがあべくまさんですね。
ところで前から疑問に思ってたことなんですけど、罐が保存場所まで自力回送する場合、後始末はどうするんでしょう?
このC12もそうですが、ばん物のC57180も新津の小学校まで仮設線路を自力で保存場所まで走ったといいますし。
水(お湯)は排出してしまえばいいでしょうけど、灰はどうしたんでしょうね?
投稿: たかべー | 2009年6月 7日 (日) 10:49
☆たかべーさま
川俣線のC12は、翌日のTVニュースで駅の入換風景を見ましたが、火は落として残りの蒸気で動いた様ですね。
灰は・・・うーん、そのままでしょうかね?
最後の移動の前に落としたのかな?
それよりも、最後の夜はどうしたんでしょうね。
見張り員とかは付き添っていたんでしょうかね?
運転した乗務員さんは、車で松川駅まで戻って来られたようですが・・・。
あっ、あの頃はどっちの駅にも駅員さんが居たのか・・・(^^ゞ
投稿: あべくま | 2009年6月 7日 (日) 11:12
これまた貴重な!! 松川事件ですね(笑)。
転出の際、丁寧にお化粧してもらったんですね。
とくに夜景はいい感じが漂っています。
手元の資料では、松川—岩代川俣12.2キロの廃線が昭和47年5月14日と出ています。
まさにそのときの写真ですね。じつに貴重です。
6月6日は雨の中、秩父に行ってきましたが、
晴天の今日、くろくまは運休にしました。
ほとんど外出せず、呑んではごろり。
これではメタボ街道まっしぐらですねぇ。
お誕生日、おめでとうございました。
アラシックス、突入ですか。行きつけのライブハウスではスイーツのお祝いとか。
う~ん、行きつけの居酒屋でケーキ出されたら、くろくま困っちゃうなぁ。
投稿: くろくま | 2009年6月 7日 (日) 18:02
☆くろくまさま
当時はまだ会津若松機関区にC11が健在でしたから、C12の整備も簡単にできたんだと思います。
しかし、会津若松から松川まで無動力でしょうが有火回送して、松川駅から川俣駅や飯野駅まで自力回送させるというのも、凄い選択でしたね。
おかげさまで、こんな写真が撮れた訳ですが・・・。
会津ではまだSLが走っているとはいえ、東北線沿線では煙が消えてかなり経つので、松川駅には夜になっても見物人がおおぜいやって来ました。この日は、入場券だけでかなりの収入になったことだろうと思います。
投稿: あべくま | 2009年6月 7日 (日) 23:14
11年前
連続テレビ小説「すずらん」のロケでC1266が旭川に回送され旧運転所扇形庫24番線に収容されました
後日、友人の乗務員に無理を言ってロッド組み立て作業に立ち会わせてもらいベテラン検修の方から貴重なお話が聞けました
老練な庫内手は久々の蒸機の姿を前にして目が潤ませていたのが印象的でした
投稿: さも次郎 | 2009年6月 9日 (火) 13:07
☆さも次郎さま
「すずらん」のロケは、もう11年前になりますか。
私は福島周辺で回送を撮りました。
懐かしいですね。
投稿: あべくま | 2009年6月 9日 (火) 23:27
以前にもどこかに書かせていただいた気がしますが、あの日C12はED75の次位で松川駅にきました。中学生だったのですが、なぜか自分だけC1260のキャブに乗せてもらい、松川駅構内を1往復してもらった思い出があります。あべくまさんの写真で後ろにいたC1260の方だったとわかりました。夜になり住んでいた福島市内にもどり夜中に庭にでていると、松川と福島市ではかなりの距離があったはずなのですが長い汽笛が聞こえた気がしました。
小学校の学区に2つの機関区が有ったので、校外スケッチ授業はいつも機関区だったり、少しだけDD13を運転させてもらったり(まずいだろ)、協三工業で復刻されたカナダ向けのシングルドライバーを見に行ったり、C5746の構内運転にのせてもらって、お土産ももらったり、機関区で大量の乾電池をもらったりお風呂にはいったり、良い思い出ばかりです。だから鉄になりました。
投稿: れんさん | 2020年5月 1日 (金) 01:07
☆れんさん さま
川俣線の廃止の頃は中学生でしたか。
貴重な体験をされましたね。
あの日私は川俣線の沿線で気動車を撮影していて、C12の回送は見ることが出来ませんでした。
撮影後に松川駅に向かって歩いている時に、何度も汽笛が聞こえたのでC12が到着したんだなと思いました。
小学校は三河台小学校でしょうか?
協三工業のカナダ向けの機関車は「ジョン・モルソン号」ですね。
昭和45年の11月に公開されていますが、これをご覧になっていたというのは素晴らしいですね。
この時私は高校1年生でしたが、まさかいずれこの会社に勤務することになろうとは、全然考えてもいませんでした。(笑)
投稿: あべくま | 2020年5月 2日 (土) 09:21