夜景三昧?
今思えば、若い頃は案外平気で無理をしたものです。
夜行○○連泊とか、このブログの読者でも身に覚えのある方も多いかと思います。
私も結構そんなことがありましたが、その一つが徹夜での夜景撮影です。
夜景撮影三昧といえば聞こえが良いかもしれませんが、スケジュールの関係で駅で夜明かしするしかなく、列車が来るので仕方なく(笑)撮影していたと言うのが実情です。
高校生の頃行った羽越線では、そんなことが何度かありました。
その中に有ったのが・・・
昭和47年3月5日 羽越本線 坂町駅にて 下り貨物列車
昭和47年8月24日 羽越本線 坂町駅にて 上り貨物列車
3月には、まだ架線柱が建ってビームが取り付けられた程度の電化工事も、8月下旬にはもう架線が張られ、EF81の訓練運転も始まっていました。
そんな状況で、奇しくも同じナンバーの機関車が写っていました。
元は秋田機関区所属だったD51910です。酒田以南は基本的に新津、坂町、酒田の各機関区のD51が入るため、予備灯のシールドビームなどと言う無粋なものが付いた機関車は来ないはずなのに、奥羽線無煙化で転属になったこのカマは元の姿のままで働いていました。
羽越線も無煙化が目前だったので、わざわざ改造する手間を惜しんだのかもしれませんが、ちょっと残念でした。
しかし昭和47年と言えば、私は高校3年生。 でも、あまり受験生と言う意識は無かったかもしれません
函館線に最後のD52を撮りに行きたいと言って、さすがにこれは親に止められたりもしましたが・・・。
まぁ、当時はかなりのんびりしてましたからね。学校の事務室に学割を貰いに行っても、あまりうるさい事も言われなかったし・・・(^^ゞ
今とは状況が違うとは言え、良い時代でした。
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コメント
さすがに地元ですね。
今回の語呂合わせはセーフです(笑)。
夜の駅寝ってほとんどが旭川でしたのでバルブ撮影はしていません。
かろうじて帯広で廃車のキューロクをバルブ三昧ってのがありました。
今でこそコンデジで楽に撮影できますが、アナログの時代には枚数の節約もあったんでしょうね。
アナログ時代のバルブ撮影って味がありましたよね。
投稿: くろくま | 2010年9月11日 (土) 06:08
電化区間での運用カマには副灯装備が義務付けでしたから、試運転がスタートした時点では必要だったはずですよ~
そのために装備となれば、余剰車で玉突きさせた方が得策だったのでしょうね。
ポジ画の青白い夜空が魅惑的ですね!
投稿: ひぐま3号 | 2010年9月11日 (土) 20:52
☆くろくまさま
あらっ、私は夜の旭川駅でバルブをしましたよ。
入換のDD13(初期型)とか、D51貨物とか。
さすがに徹夜はしませんでしたけど・・・。
☆ひぐま3号さま
えっ、予備灯取り付けが義務ですか? そんなもの付けていないカマがほとんどでしたけど・・・(^^ゞ
この青色は水銀灯の光でしょうかね?
私はこの色が好きでした。
投稿: あべくま | 2010年9月12日 (日) 03:42
あべくまさま昨日は遠路お疲れ様でした。
リメンバーでは The Foresailの後にJunksが出演し
ました。なかなか面白いお姉さん達ですね。
投稿: ポール.K.タカハシ | 2010年9月12日 (日) 15:53
☆ポール.K.タカハシさま
昨日は雨が降ったこともあり、ファンクラブの方々とゆっくりお話できずに残念でした。
リメンバーにはJUNKSさんも出演したんですか?
それではだいぶ楽しまれましたね(^_^;)
またいつかお会いしましょう。
投稿: あべくま | 2010年9月12日 (日) 20:46