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2011年3月27日 (日)

震災復旧へ

買い物の後、何となく列車の来ないお立ち台を巡ってきました。
金谷川の高架橋を眺め、石那坂の大カーブを眺め、南福島駅北方の踏切まで来たら、最近はほとんど渋滞していない踏切の前後で、車が停まっていました。
何かと思って覗いてみたら、バラストを満載したトラックが、東北線の上り線の線路に乗るところでした。
Dscn6200

軌道トラックは線路に乗ると、急いでバックして踏切を開放しました。

Dscn6201_2

踏切を塞いで、トラックを線路に乗せる作業を確認していた作業員が乗り込むと、 このトラックはかなり速い速度で上り線を郡山方面に走って行きました。

Dscn6202

上り線のどこかで保線作業を行っているのでしょうが、偶然に東北線の復旧作業の一端を垣間見ることが出来ました。
手元にコンデジが有ったので、思わず激写してしまいました(^^ゞ

軌陸車は、保線作業の現場の近くの路上などで、たまに見かけることが有りますが、実際に線路の上を走っているのを見たのは今回が初めてでした。
思わず興奮してしまいました(^_^;)

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2011年3月20日 (日)

春を待つこころ

ようやくお彼岸になりました。
でも、今年のお彼岸はご先祖様よりも自分の面倒を見るのが大変で、あまりまともにお墓参りにも行けなさそうです。

とりあえず、こんな写真でも見て、少し気持ちを癒してください(^^ゞ
0336_034
昭和47年4月29日   羽越本線 羽後岩谷~折渡(信) 下り貨物 

少し春らしい写真を・・・と思いましたが、下手ですねぇ(^_^;)
一面の菜の花畑で、鉄写真を撮ってみたいです。


さて、皆さんにご心配をおかけしておりましたが、3月11日に起きた今回の大震災では、我が家は家も人もほとんど被害を受けませんでした。
もちろん福島市は震度5強と言うことで、相当の揺れになりました。
家の中は本棚は倒れて中身が散乱し、ステレオもテレビも倒れてしまって、足の踏み場も無い状況になりました。
ただ、サイドボードや食器棚は前の扉が引き戸だったので、中身が一度に飛び出すことも無く、少し開いた扉からコップや置物がいくつか落ちて壊れたくらいでした。
大きな被害といえば、家内の実家の石塀が倒れてしまいましたが、それで被害を受けた人が居なかったのが、不幸中の幸いでした。


ライフラインは、地震直後は電気・水道は大丈夫でしたが、水道は翌日から断水になりました。ただ、ありがたいことに15日には断水は復旧しました。
電話は地震直後から通話できなくなりました。
パソコンからのネット接続も出来なくなりました。
携帯は、通話は無理でしたがメールに加えて、ネットでmixiに繋がったので、そのメッセージで家族や友人たちの安否確認が出来ました。
通信会社で言うと、私と上の娘はソフトバンクで、これは比較的早くメールも通話も可能になりましたが、家内と下の娘はauでして、これがなかなか繋がらず、地震の翌々日にやっと使えるようになりました。聞いた話では、ドコモも比較的早く通じるようになったようですね。

生活物資は、近所のスーパーやコンビニで並んで少し買い物をしましたが、幸いお米が結構有ったので、水を手に入れさえすれば食べ物には苦労しませんでした。
ガソリン、灯油も地震当日に購入していたので、なるべく消費を抑えて過ごしました。
本日現在では、入場の順番待ちはありますが、スーパーには生鮮品はかなりあります。コンビニも少しずつでしょうが、商品が入ってくるようで、日中はお店を開いている所が多いです。
灯油やガソリンも数量制限はありますが、並べば買える様になってきました。

あとは仕事のほうですね。現在は客先の工場の被害の関係で、仕事量がかなり少なくなり、関係部門が少し出社しているだけで、ほとんどは自宅待機です。
早く仕事に復帰したいです。

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