夏は「あけぼの」
夏はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたるけむり(排気煙)たなびかせぶるとれ(寝台特急)通過するもいとをかし。
上野駅と青森駅を結ぶ寝台特急「あけぼの」は、今でこそ羽越線~上越線経由になりましたが、かつては奥羽線~東北線を走り抜ける、純粋な東北特急でした。
奥羽線を走る下り列車は、夏至の頃は新庄付近でも撮影可能でした。
DD51牽引の20系「あけぼの」を撮りたくて、夏至の頃になると先行する夜行列車に乗って何度か新庄駅まで行きました。 この日は朝霧が濃かったので、駅構内で発車シーンを狙いました。
昭和49年6月30日 奥羽本線 新庄駅
夜行列車からまだ暗い新庄駅に降り、この日はタクシーで舟形駅北側の小国川橋梁に行きました。 シルエットでも・・・と思いましたが、東の空には厚い雲が掛かりきれいなシルエットにならないので、これは諦めました。
昭和50年5月18日 舟形~新庄
そして時代は下り「あけぼの」の客車は、20系から24系に替わりました。
上りの「あけぼの」は、日の長い時期なら板谷峠でも撮影出来る事がわかり、たまに早起きして庭坂の大カーブに出かけました。 ED78+EF71の重連牽引で、ブロワー音を響かせながら坂を下ってくる姿もなかなかのものでした。
奥羽本線 赤岩~庭坂
若い頃(笑)は早起きが苦手で、なかなか庭坂へは行けませんでしたが、東北線での上り「あけぼの」は良く撮影に行きました。
福島からはED75[福]が牽引していました。後年は700番代が時には重連で牽引していました。
東北本線 金谷川~松川
そして山形新幹線の開業により「あけぼの」は板谷峠を越えることは無くなり、奥羽北線や首都圏に行くこともほとんど無いため、その姿を気軽に写すことは出来なくなりました。
数少ない上野口での「あけぼの」の姿はこちらです。
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コメント
ブルトレが全盛の頃は、文字どおり「早起きは3本の得」でした。
私はどうしてもブルトレ=電機のイメージなんだけど、DD51+20系の組合わせもいいですね。
投稿: モハメイドペーパー楠居 | 2012年7月 6日 (金) 23:15
この間の「山形新幹線20年」で思い出したんでしょうか?まさに「夏はあけぼの」の時代だったんですね。20系の客車が懐かしい。深みのある、いい青でした。DD51牽引の姿がまた泣かせます。バラrティがあっていい時代でした。もっとちゃんと写真を撮ってればよかったなぁ。
投稿: ポチ | 2012年7月 7日 (土) 17:34
☆モハメイドペーパー楠居さま
そうですね。あの頃は良くそんな言葉を聞きましたし、実際朝の列車は多かったですね。
ほとんどの地域ではブルトレ=電機牽引だったと思いますが、一部地方ではまだDLが頑張っていましたね。
奥羽線のDD51は良かったのですが、山陰線の「出雲」がDD51で来た時は泣きました(^^ゞ
投稿: あべくま | 2012年7月 7日 (土) 17:49
☆ポチさま
早いもので山形新幹線が開業してからもう20年になるんですね。
DD51はともかく、板谷峠の「あけぼの」はもっと足繁く通うべきだったと思っています。
湘南にお住まいの頃は、東海道線とかは撮りに行かなかったの?
投稿: あべくま | 2012年7月 7日 (土) 17:52