不謹慎かなぁ?
前回の記事で母の訃報をお知らせしましたが、斎場は東北本線のすぐ横なので、控え室の窓からは列車が丸見えでした。
父の時もここでしたが、まさか母もここで葬儀が出来るとは思ってもいませんでした。
父の時は自宅から棺をここへ運んだので、さすがに窓から外を眺めるだけでしたが、今回は母の遺体は最初からここに運ばれたので、控え室で過ごす時間も長くなり、手元にカメラもあったのでついつい・・・(笑)
葬儀と言う非日常の中で、こんな普段やるような列車の撮影をしていると不謹慎と思われるかもしれませんが、こんな何気ない事が気を落ち着かせ精神のバランスを保ってくれたような気がします。
ここは、私が子供の頃に住んでいた矢剣町とは線路をはさんで反対側になります。 言ってみれば、父母の若い頃の生活圏でもありました。 これも何かの縁ですね。
下り列車を見るには、特に良い所でした。 昼間は逆光になるので、露出が難しくなりましたが・・・。
平成25年2月17日
2月17日(日)は、北海道からHD300-901が戻る日だと、家内が言っていました。
朝から斎場に詰めていましたが、午後3時からの納棺までは暇なもので、ネットで回送情報を探しまわって何とか撮影することが出来ました。
回送列車は、大雪と強風で遅れていたためか、かなりのスピードで走り去って行きました。
平成25年2月17日 東北本線 福島~南福島
HD300の後部は、ここまでの暴風雪の凄さを物語るような、雪まみれの姿でした。
この斎場の窓から見ると、下り線の荒川橋梁が真正面に見えました。
上り線の架線柱がちょっと邪魔でしたが、もしももっと長玉が有れば・・・(笑)
やって来たのは、やや遅れの震災瓦礫輸送(戻り)列車でした。
福島駅構内に入った、下りの震災瓦礫輸送列車(8071列車?)です。
上りの列車は時々見掛けますが、下り列車は初めて見ました。
17日はお通夜で、そのまま斎場のこの部屋に泊まり、一晩中列車の音を子守唄代わりに聞きながら寝ました。
翌日は告別式でしたが、早朝は何もすることが無く、列車が来れば撮影することも出来ました。
この列車は、今のところの最終ナンバー(?)80号機の牽引でした。
初撮影で、ちょっと嬉しかったです。
平成25年2月18日 南福島~福島
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コメント
本当に葬儀というのは、心身共に疲れきります。気持ちを落ち着かせるには良かったのではないでしょうか。きっと亡くなられた母上様は解って下さっているでしょう。それにしても、その後の役所への届け出やら忙殺されます。そして直ぐに四十九日がやって来ます。お寺さん始め、精進落としの場所探し等、打ち合わせやら、やる事が山ほど出て来て、てんてこ舞いです。
投稿: きぬやまスカンク | 2013年3月 6日 (水) 08:28
☆きぬやまスカンクさま
コメントありがとうございます。
斎場では色々と悩む事が多くて、鉄ちゃんしている時はそれを忘れることが出来たので、良い気晴らしになりました。
しかし、仰るとおり関係各所への届出には参りました。
これからは、四十九日の法要の準備で忙しくなりそうです。
投稿: あべくま | 2013年3月 6日 (水) 23:37
良い気晴らしでしたね。我が家の時は自宅に近かったので行ったり来たりしてました。又、両親が亡くなってからもう1年も経ちますが、まだ手続きが終わっていないものがあります。本当にめんどくさいですね。地元の市役所は勿論、それぞれの出生地の役場も回ってきました。
きぬやまスカンクさんの母上が亡くなった事はだいぶ後でしりましたが、皆さんそういう年代なんですね。
ハイブリッドは良いタイミングでしたね。まさか斎場からバッチリ見えるとは・・・。
投稿: ポチ | 2013年3月10日 (日) 12:58
☆ポチさま
お陰さまで、仰るように良い気晴らしになりました。
特にHD300の回送が撮れたのは嬉しかったです。
ネット情報を漁りまくった(漁ったのは主に鉄嫁でしたが・・・(笑))甲斐がありました。
ところで、ポチさんのところではまだ手続きが終わらない事が有るんですか? これは驚きです。
私のところでもそうなるのかなぁ?
投稿: あべくま | 2013年3月10日 (日) 21:30